大阪高等裁判所 平成3年(う)111号 判決 1992年10月29日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
(控訴趣意)
本件控訴の趣意は、弁護人松原敏美、同岩橋健連名作成の控訴趣意書(ただし、被告人の責任能力についての事実誤認のみを主張するものであると釈明した。また、被告人の病名を「典型的なパラノイア(妄想性分裂病)」としているのを「妄想型の精神分裂病」と改めた。)に記載のとおりであるから、これを引用する。
(判断)
論旨は、要するに、犯行当時被告人が妄想型の精神分裂病に罹患していたため心神喪失の状態にあつたと認めるべきであるのに、原判決が精神分裂病であることを認めず、単なる妄想性障害であるとし、心神耗弱の状態にあつたと判断して被告人を有罪としたのは判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である、というのである。
そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調の結果をあわせて検討すると、犯行当時被告人は精神分裂病に罹患しており、そのため是非善悪を判断する能力及びこれに従つて行動する能力を有しておらず、心神喪失の状態にあつたものと認めるのが相当である。以下、その理由を説明する。
一 本件は、原判決が「罪となるべき事実」として認定しているとおり、平成二年六月三日午前四時二〇分ころから被告人が、和歌山市《番地略》の自宅において、殺意をもつて、妻・A子(当時四六歳)の前頚部を刺身包丁(刃体の長さ約一九センチメートル)で一回突き刺し、さらに、頚部を右腕で締めつけ、よつて、そのころその場で、同女を頚部刺創による出血と扼頚による窒息により死亡させて殺害したという事犯であるが、その犯行にいたる経緯をたどると、おおむね次のとおりである。
1 被告人は和歌山県牟婁郡の中学校を卒業した後、雑貨商手伝いや工員等を経て、昭和三九年ころから乙山タクシーの運転手として七年間働いた。そのころ同じ職場にいた今は亡き妻・A子と恋愛関係になり、同女の両親の反対を押し切つて昭和四一年一月に結婚し、翌年一二月に娘B子が誕生した。
結婚の当初は双方の性格上の行き違いから夫婦喧嘩が絶えなかつたが、B子の成長につれて被告人が自分を押さえるようになつたため、次第に夫婦仲も落ち着いたものになつた。
2 被告人は乙山タクシーを辞めてから数カ月を失業保険で生活し、昭和四七年ころ和歌山市内の丙川屋和歌山店(以下、単に「丙川屋」という。)のテナントに入つている丁原パルコに就職し、その四年後に店長になつた。しかし、この会社は昭和五四年に倒産したため、被告人は半年ほど丁原パルコの残品整理に当たつた。
そして、その仕事ぶりを買つた当時の丙川屋店長のC氏の勧めで、同年一〇月ころから丁原パルコの入つていたテナントの一部を借りて「戊田リフォームサービス」の名称で合鍵作りや靴・傘の修理などの仕事を始めた。被告人の店は丙川屋店長の交替などもあつて昭和五六年に三階の通路脇から奥に変えられ、翌五七年一一月に正面玄関前のテナントに移動させられた。
しかし、二回目の移動が幸いして店が忙しくなつてきたため、昭和六三年ころから妻もそれまで数年やつていた甲田楽器の営業などの仕事を辞めて被告人を手伝うようになつた。
3 そのうち、平成元年三月ころから丙川屋の改装計画が具体化し、被告人は改装後もテナントの一つとして入ることができると言われていたが、対人交渉が苦手であつたため、改装後はテナントとして入れないのではないかという不安がこのころから生じるようになつた。
そして、同年一一月末ころ、改装後の入店を前提として、丙川屋裏の駐車場の待合室の仮店舗に移転する契約が結ばれてそこへ店を移したが、その契約の際に店長らがうれしそうな顔をしたのを見て、丙川屋のペースに乗せられたなと被告人は思つた。しかも、その契約書には改装後の入店について明確な記載がないことを妻から指摘されて、このころから改装後の丙川屋にテナントとして入れるかどうか被告人の不安は強くなつてきた。
そのころ被告人は大阪の乙野商店に靴の補修材料を仕入れに行つたが、主人に「新しい機械を入れたい。若い子を雇いたい。」と言つたところ、逆に「どちらも入れるな。」と言われたととり、この主人は自分が丙川屋に再入店できない事情を知つているのではないかと思つてなお心配になつた。
そこで、被告人は翌一二月初旬ころ和歌山弁護士会に相談に行つたが、「仮店舗に移つてからでは丙川屋側の思いのままになる。」とか、「丙山のテナントに入つていた業者が合法的に追い出されそうになつた。」とか聞かされたととつて不安が大きくなるばかりであつた。
4 平成二年一月に入つてからは合鍵作りにしても靴や傘の修理にしても非常にやつかいな仕事を求める客が多くなつたように思われ、そうした客が妻の出身地の知り合いのようであるばかりか、仮店舗に移つた直後から妻の身内がぱつたり店に姿を見せなくなつたように思われたことから、丙川屋や妻の身内の嫌がらせで店から追い出しにかかつていると被告人には感じられた。
そうするうち、二月二五日ころになつて被告人は丙川屋が内装工事を発注している甲川工芸から新しいテナントの図面をもらつたが、その図面では靴修理の機械の据付位置がテナントの奥に決められていた。そこで、その寸法で新しい機械を入れられるか不安になつた被告人は同業者のDに相談したが、同人に「新しい機械を買つて店頭に据えれば売上がアップする。」と言われ、隣のテナントに入る乙原クリーニング店がほこりの飛ぶ自分の靴修理を迷惑がつて丙川屋と手を組んで機械の据付位置を奥に決めたのだと思つた。
そうした状況のもとで、被告人は二月中ころと末ころの二回にわたり胃の調子が悪く、また眠れないということで内科の丁川医院を訪れて胃薬と睡眠薬、それに精神安定剤をもらつて服用したが、この時丁川医師が「私は眠れて眠れて仕方ない。」と言うのを聞いて、おかしなことを言うなと感じたりした。そればかりか、一日一錠しか飲んではいけないはずの睡眠薬を一日二錠使用するように処方され大量に投与されたと思つて、手持ちの薬を全部飲んだら致死量ではないかと気になつた被告人は同医師に不信感を抱き、それからは同医院には行かなくなつた。
その後、甲川工芸の方から新しいテナントの基本設計図が二月末日まで丙川屋に提出されることになつていたが、その期限が過ぎても丙川屋から図面作りの相談がなかつたため、被告人は丙川屋が自分をテナントに入れるつもりがないからわざと遅らせているのではないかと余計に心配になつた。
また、被告人は予定どおり事が進まないのは古い機械を使うことになつているからだと考え、靴の機械を新しいものに替えることにし、東京の丙田製作所に電話で問い合わせたが、「リースなら売る。」と言われ、ここも丙川屋と通じて機械を買わないように仕向けていると思うとともに、同業者が新しいテナントに入つて自分は入れないのではないかとますます不安をはらませた。
5 このようにして不安と焦燥を募らせた被告人は三月初旬ころから妻に丙川屋に入れないのではないかと何度も繰り返して訴えた。これに対して、妻からは「もう話は決まつてるんや。あんたは仕事だけしていればいいんや。勘定は合つている。」と言われたり、そのうち「あんたの言うとおりや。丙川屋のテナントに入れないことが決まつてからでは遅いから、今のうちに新しい仕事を探しといたら。」とか、「わたしのいとこが丁野に勤めているから、丁野に声を掛けといたら。」などと突き放す言い方をされるようになつたりしたと被告人には思われた。
これを聞いて被告人は妻が最初に「もう話は決まつてるんや。」などと言つたのは新しいテナントに入れないことが決まつていることを意味し、丁野に入ることも決まつていると考えるとともに、妻とその身内が丙川屋から立退料をもらうなど裏工作をしているのだと疑惑を抱くにいたつた。
被告人は三月一四日と二七日の二回にわたり精神科の戊原医院を訪れて不眠を訴えて受診し、不眠症として精神安定剤の投与を受けたが、二七日には、ボックスのような物の中に入れられ、看護婦が音楽を聞かせて幼児期の記憶を思い起こすように指示するなど催眠術のようなことをされた。
そして、その日自宅に帰ると、戊原医院で自分が診察を受けたことを妻が知つていて、その特殊な治療の内容までも知つているような素振りに感じられた。これは戊原医院の看護婦が丁川医院の看護婦と通じ、そこから妻の実家を経て妻に情報が流れたのだと被告人は確信した。そこで、この際にもらつた薬は気分がイライラするなと思うときだけ服用するようにしていた。
6 三月二四日に娘B子の大学の卒業式があつて被告人も出席したが、そのおりに晴れ着を持つてきた妻の母親が「子供の卒業式を喜ぶ気になれんやろ。」などと被告人に嫌味を言つたように思われた。
この日、妻の案内でB子の下宿の近くの「戊山食堂」で食事をしたが、椅子があちこちに向いていたり、テーブルの上にはたきが乗つているなど店内がすごく汚く感じられた。これは妻が食堂に対してわざとそのように汚くさせ、丙川屋の店を綺麗にして仕事をするようにと自分に意識させるための嫌がらせをしているのだと被告人には思われた。
また、挨拶に訪ねた教授が妻に「まだ若いからやり直しができる。」などと言つたように思われた。被告人はB子が下宿中に創価学会に入信したのを平成元年暮れころに知り、このことで妻とB子が裏で通じて自分にお芝居をしているのではないかとの疑いを以前から抱いていたが、教授のその言葉を聞いて、妻がこの教授に話をしてなにかをたくらんでいる、妻がB子を連れて実家に帰るのではないか、それにしても嫌がらせにしては度が過ぎていると思つて非常なショックを受けた。
同月末、B子が下宿から送つた宅配便がなかなか届かないばかりか、その送り状を見ると営業所の留め置きになつていることから、これは、妻がいざというとき実家に荷物を転送するつもりであると被告人は考えた。
7 被告人は不眠がひどくなつて二月から三月にかけて医師から睡眠薬などの投与を受けているのであるが、娘のB子によると、「父はまじめで口数の少ない、情のあるやさしい性格であるが、三月に大学を卒業して実家に帰ると、両親の様子が変わつていた。父はいつもなにか考え事をしている様子で元気がなかつた。私に対しては相変わらずやさしかつたが、仕事のことでノイローゼのようになつて、母と毎日のように大声を出して喧嘩するようになつた。『丙川屋が改装後入れる、入れない。』ということで口論していた。」というのである。また、妻の叔父にあたるEによると、「被告人は無口でおとなしくまじめな男であつたが、三月中旬ころ相談に来た時には『丙川屋から放り出される。』という話をしていた。自分にはどうしても理解できない話があつて、なにを相談に来たのか分からなかつた。話の内容がばらばらで、ノイローゼ気味だと思つた。」という。三月末ころから四月初めにかけて被告人夫婦から相談を受けた妻の両親F、G子夫婦も被告人の様子について同じような状況を述べている。このように被告人は平成二年の三月以降、娘や親戚など周囲の人々に素人判断でもノイローゼ気味と言われるほどに精神状態の変化を来していた。
8 その後も、被告人はなにかにつけて自分が丙川屋のテナントに入れなくなる、妻がすべてを知つているのに、自分にはなにも知らせずに裏切つていると関係づけたうえ、丙川屋から追い出されることについては、妻やその身内が被告人に隠れて丙川屋と結託して裏取引をし、立退料をもらつている、あるいはもらう予定になつていると確信するようになつた。そして、四月、五月ころはとりわけ妻の態度、物言いが露骨に見えて仕方がなかつた。
そして、被告人によれば、三月ころから四月、五月とずつと続けて、被告人の頭の中は、今考えていることが次の瞬間別のことを考えていて、そのすぐ次にまた別のことを考えているようであり、今こうしていることが間違つていて、正反対のことが正しく見えたり、解決しない問題が次々と起こるため、何がどうなつているのか、どうしたら良いのか判断がつかず、自分自身が歯がゆいと思いながらも、身内に話すことも文章にすることもできない。そのような状態の毎日であつた、というのである。
さらに、被告人は犬を散歩に連れながら、自分で話しかけて、自分で考えて、自分で答えていた。その声の大きさに自分でびつくりして、誰か見ていなかつたかと周囲を見回すことがあつたし、通りすがりの人が振り返つて見ていたようで、恥ずかしい思いをしたことも再三あつた。
そのうえ、このころには丙川屋のテナント関係などの書類がなくなつていると思うと出てきたりした。これはすべて妻がはかつてやつたことであり、完全に丙川屋とぐるになつていると被告人は思つた。そこで、五月二〇日ころ被告人は妻との口喧嘩が高じて妻の髪を引つ張つたり、首を締める真似をしたことがあつた。この時、妻が「なぜ私だけがこんな怖い目にあわなければ・・・。」と言つて泣き出したが、この言葉は妻が身内とぐるになつて丙川屋と裏交渉をしているため、そこからくる苦しみを身内に訴えているのだと被告人は直感した。それ以降も、妻の態度はどんどん露骨になつてきたように思われたが、怒つたら向こうの思う壷だと思つて、被告人はがまんをしていた。
五月二三日に被告人は丙川屋のHと会い、新店舗の追加敷金を支払う内容の覚書に署名捺印した。しかし、丙川屋の新店舗には入れないという確信が強くなり、同月末には契約書や図面などを丙川屋に返しに行つたが、翌日にはまた取り戻した。このころ、そのような状況に耐えられなくなつた被告人は一家の財産を三等分して妻子に与えて責任を果たそうと考えてもみた。
9 六月一日に丙川屋からロッカーの鍵一五〇本作つてくれと注文があつたが、「あなたの所でできなければよそへ頼みます。」と言うので、これは丙川屋の嫌がらせであると被告人には思えた。その鍵のサンプルをもらつたが、なくしてはいけないのでこれを預かつてもらうためサービス課へ行くと、Iという社員が「甲野さん、横領を狙つているような人に負けないで。」と言つたように思われ、これまで考えていたとおり、妻とその身内が自分を丙川屋から追い出して立退料をもらうつもりであると改めて確信を深めた。
その日の夜に被告人は戊原医院で受診することにしたが、自分の考えをうまく言えないような気がして、なにをどのように話したらよいかをあらかじめ声に出して練習してみた。そして、車で出かけたが、途中三、四台の車に追いかけられているような気がして、ウインカーをつけないで交差点を折れるなどしてこれを巻きながら走行した。
また、戊原医院に行く前にその近くの酒屋で戊原医師に持参する土産のワインを買つたが、その際に酒屋の親父が初対面であるのに自分を「甲野さん。」と呼ぶので、この親父は真向かいにある店で丙川屋のテナントにも入つている甲山眼鏡店を通じて自分のことを先刻承知していると被告人は推し量つた。
そして、戊原医院では、診察室で話をすれば前のように看護婦から自分の受診内容が妻に知らされると恐れ、戊原医師に自ら願い出たうえ、応接室で二人きりで話を聞いてもらつた。その場で被告人は、丙川屋に入れないこと、妻やその身内が裏で手を組んでいて自分一人だけが浮いた存在になつていること、妻が自分の物を隠すなどといつたことを戊原医師に訴えた。
そのほか、被告人は戊原医師に対し持参したワインに関連して「酒屋の親父が初めて見る自分に『甲野さん。』と呼ぶんや。自分がその親父に『どうして名前を知つてるんや。』と聞くと、『あんた自分で言うたやないか。』と答えたけれども、自分の方から名前は言うてないんや。あれは、今日自分が先生のところに来るのを妻が知つていて、先回りをしてその酒屋に電話をかけて自分の名前を教えたのや。」と語つたりした。
そのような妄想的な内容の話を聞いた戊原医師はベゲタミンなどの精神安定剤を投与する一方、妻を来院させるよう被告人に求めた。妻が翌日午前中に戊原医師を訪ねて被告人の動静について報告したが、その結果などから戊原医師は被告人が「精神分裂病様の状態」にあると考えた。
10 二日に被告人が店で働こうとすると、靴修理の道具であるコバカッターが曲げられているように見え、その修理に非常に苦労した。この様子を妻がニヤニヤ笑つておもしろそうに見ていると被告人は感じた。そればかりか、妻はいつになく手際良く合鍵作りの仕事をこなしているように思われ、おかしなことだと感じた。
午後九時ころの帰宅後、被告人は妻から犬の散歩を頼まれたが、犬がぐつたりしてフィラリヤの予防注射でもされているかのように見え、そのことを妻に確かめると、「知らない。」と答えるのみであつたため、妻に対する邪推を深めた。
こうしたことなどがあつて、この夜は、もう丙川屋から追い出されるんだ、もしかしたら裁判にせざるを得ない、今後はどうしようかと絶望的な気持ちに陥つていた。
被告人はこのような妄想的な確信にさいなまれて眠れないまま、翌三日午前二時半ころから台所のテーブルで書類の整理を始めた。ところが、三月に税務署に提出した青色申告書控の数字が間違つていないのに書き替えられているように錯覚し、妻が自分を陥れるために帳簿を付けるのを怠つて改ざんしたものと妄信した。さらに、国民金融公庫の融資申請書の「切り取らないでください。」と書いてあるところも切り取られてなくなつていると思い込み、これも妻の仕業に違いないとの疑いを強くした。
これらのことから、被告人は妻が自分を裏切つたのではないかという疑惑をますます強め、午前四時ころ、台所の隣にある六畳間のこたつに座つている妻に「この数字を直したのは誰やつたんか。」、「今までのことは全部うそやつたんか。」などと妻を問い詰め始めた。しかし、妻は「わたしは知らない。あんたのひがみ根性や。」などと言うだけで、被告人の期待した誠意ある返答は得られなかつた。これに憤激した被告人は台所の食器棚にあつたキー・ホルダーや猪口を妻に投げて「こつちを向け。」と怒鳴つた。この時妻がおびえた態度を示したと感じたことから、被告人はさらに疑惑を強めて「全部うそやつたんか。」と問い詰めたが、妻の答は「知らない。」の一点張りであつた。
そこで、いつまでたつても本当のことを言わないと思い込んだ被告人は妻を殺すことを考え、台所から刺身包丁を持ち出して自分の後ろに隠し持ち、最後にもう一度「今からでもいいから、本当のことを言つてくれ。」と懇願した。しかし、妻の返事は一向に変わらなかつた。そのうえ、妻が自分の方に向かつて来るように感じたため、妻の前頚部を持つていた包丁で一回突き刺した。さらに、妻が声を出して「B子。」と娘の名前を呼んだため、その口をふさごうと右腕を妻の首に巻きつけて締めつけた。
11 その後、妻がぐつたりしたことに気づいた被告人は自ら警察に「今、妻を殺した。」と一一〇番し、駆けつけた警察官に素直に逮捕された。
二 以上の経過をみても明らかなとおり、被告人は妄想形成を中核とする精神障害に罹患しているが、次第に妄想の世界を体系化して行き、その中につかり込み、その強固な妄想のゆえに外界から迫害されているとの思いを深め、妻もそうした迫害者の仲間であると思い込んでしまつたところからますます苦悩を強くし、その苦悩をとつさに払いのけようとしたが果たすことができず、ついに発作的、衝動的に長年連れ添つた妻を殺害するに至つたものと認められる。
そして、当審の鑑定人J医師は、次のように説明をして、被告人は妄想型の精神分裂病に罹患していたものと鑑定している。すなわち同鑑定人によれば、「被告人が、丙川屋の改装や自分の店の移転をめぐつていろいろ考え始めるのは平成元年ころからであるが、明らかに事態を被害的に受けとめ、被害妄想、関係妄想、妄想知覚などがはつきりしてくるのは平成二年の初めからであつた。遅くともその年三月には、完全な妄想状態になつていたと考えられる。このように、被告人は遅くとも平成二年三月ころには妄想型の精神分裂病に罹患しており、その主要な精神症状は、関係妄想・被害妄想・妄想知覚などの著明な妄想形成と、これに付随する不眠、期待不安、猜疑心、疲労感、心理的混乱、当惑などである。連想弛緩などの思考障害も著明に存在し、感情の褪色、鈍麻傾向も認められる。妻の言葉や関係者の言葉を聞き間違えたり、錯覚したり、あり得ない言葉を聞いたりもしており、著明なものではないにせよ、幻聴(妄想の知覚化とでもいうべき体験)を体験していると考えるのが自然である。被告人が平成二年春以来しばしば体験した不思議な現象(物がなくなつたり出てきたりする。数字などを読み間違える。人が変なことを言う。)なども、妄想患者に多い幻覚辺縁の障害であつて、精神分裂病による現実認知の歪みに基づくものである。周囲の人が被告人をノイローゼ状態と考えたのもそのころからであり、被告人自身もこのころは『自殺をしてしまうのではないか。』と思うほど自分の精神状態を危機的に感じていたが、これは、精神分裂病による自我の能動性の衰弱などのため、当惑状態や注意集中困難、思考や行動の首尾一貫性の喪失などが起こつたためである。」というのである。
もつとも、本件捜査段階で簡易鑑定を行なつたK医師は「被害妄想を主徴とする妄想性障害」と判断して、被告人が精神分裂病患者であつたことを実質的に否定している。また、当審鑑定人L医師は積極的に精神分裂病を否定して、被告人の疾患を「性格反応性のパラノイアあるいは心因反応としての妄想反応」と診断している。
しかし、これに対してJ鑑定は、「これら二者の病名診断の根拠となつている共通点は、被告人が妄想を抱くようになつたのは五〇歳を越えた後であるうえ、その人格には一見して精神分裂病的な崩壊の徴候がなく、幻覚もなく、外見的には社会生活、職業生活を支障なく送つていたという点にある。」としたうえ、次のような諸点を挙げて自己の鑑定意見の支えとしている。
<1> クレペリンは従来の緊張病、破瓜病、妄想病の三つをまとめて「早発性痴呆」と命名したが、この病気の中には必ずしも早発(思春期、青年期の発病)でない者も多く、また、必ずしも痴呆(人格荒廃)に陥らない者も多いことから、ブロイラーは「早発性痴呆」の名を廃して「精神分裂病」という名称を提案し、これが現在では世界中で用いられるようになつた。そして、アメリカのDSM-{3}では精神分裂病の診断基準の一つとして発病年齢に関して「四五歳以下」という基準を挙げていたところ、改訂版であるDSM-{3}Rでこの基準は「発病は中年、晩年もある」として撤回されているが、これは四五歳以後に発病する精神分裂病もまれにではあるが確かにあるというデータが示されたためである。そのような見地を踏まえたうえ、被告人の発病が今回の妄想の出現した五四歳ころと考えられると、これは更年期、初老期にあたるわけであるから、比較的にまれな「晩発分裂病」の症例といわざるをえないが、まつたく考えられないケースというわけではない。
<2> 被告人は中学二年生のころにクレッチマーのいう「思春期危機」の精神状態に陥つたことが認められ、その後五四歳ころまでの被告人には幻覚、妄想などの明確な精神病の症状は証明されないが、それでも、対人関係の不器用さや、被害妄想的になりやすいところなどが認められ、また不眠、不安などの神経症的・神経衰弱様症状や、胃潰瘍などの心身症の症状が出没していた。そのために医師の診察を受け断続的に薬も飲んでいる。結局、思春期危機の時代から今回の発病までも、精神的に全く健康であつたとはいえない。要するに、これまでの長い間被告人には分裂病質的な境界状態・潜伏状態というべき神経衰弱状態・異常性格状態・心身症状態が持続していて、平成二年春ころからはつきりした妄想状態に進行し、精神分裂病的な症状があらわになつたと診断することができる。
<3> 丙川屋のテナントの問題に関する被告人の悩みも、心因性に強い葛藤や矛盾が生じ、その結果として被害妄想が生じたというように簡単には了解することができず、予期不安が契機となつており、はつきりした出来事(鍵体験)がないのに、唐突に被害妄想が形成されてきているように見える。妄想の対象も多彩かつ多数の人々に及び、無限定である。また、被告人の妄想形成は早くとも平成元年の秋ころからで、比較的短い期間に被告人の妄想構築が完成している。
<4> 被告人は遅くとも平成二年の三月以降、妻、娘、丙川屋関係者、親戚などの周囲の人々に、素人判断として「ノイローゼ」といわれるほどの精神状態の変化を示していた。また、自分でも「自殺するのではないかと思うような精神状態」で、「書類も見ることができない状態だつた。」という病的な精神状態の自覚が回想されている。
<5> 被告人は思考障害(連想弛緩)が著明であり、著明なものではないにせよ幻聴を体験していると考えられ、また、ベンダー・ゲシュタルト・テスト、ロールシャッハ・テストなどでも精神分裂病であることを示唆する所見が得られた。
<6> 被告人は職人的な仕事は大過なくやつていたように見えるが、仲間との関係ではしばしば妄想的、被害的になつている。犯行前の丙川屋の関係者に対する不信、猜疑も問題で、結果から見ても職業的な機能を十分に果たしていたとは言えない。このように、仕事、人間関係などの面で機能低下があつたことは間違いがないが、ただ、それが「著しい」と言えるかどうかは多少問題である。しかし、この点を除けばDSM-{3}Rの精神分裂病の診断基準をも満たしている。
J鑑定は以上のような諸点を挙げて、被告人の犯行当時の精神の障害を「性格反応性のパラノイアあるいは心因反応としての妄想反応」としたり、「被害妄想を主徴とする妄想性障害」とする診断は正しくなく、「妄想型の精神分裂病(長い潜伏状態を持ち、初老期に発病した精神分裂病)」と診断するのが正しいとしているのであるが、この鑑定意見は説得力が高く、信頼に値するものと言える。
そういうわけで、J鑑定のとおり、犯行当時被告人は妄想型の精神分裂病に罹患していたと認めるのが相当である。
三 そのうえで、犯行当時の被告人の精神状態(精神障害が犯行に及ぼした影響)などを、鑑定意見をも参考にしながら更に検討することとする。
被告人は精神分裂病による妄想を次第に体系化させて行き、自分で構築した妄想の世界の中で犯行に至つたのであるが、J鑑定によると、「犯行当時は妄想型分裂病の活動期であり、妄想は十分に成熟して体系化していた。被告人の妄想形成は、心理的に了解可能と思われるような部分もあるが、全体として考えるとやはり了解することができない。それは、被告人に知覚の変化、妄想知覚、錯覚などがあつたからであり、また、その背景に連想弛緩などの思考障害があるためである。」とされている。被告人は、そのように体系化された妄想の世界の中で、妄想によつて現実を誤つて認識し、外界から迫害されていると思い込み、妻にまで裏切られたと妄信し、苦しみ続けてきた。そして、犯行当日深夜、被告人はたまたま眠れないままに書類の点検をする中で、確定申告の書類の数字が書き替えられている、国民金融公庫からの書類が切り離されているなどと錯覚し、これもまた妻の仕業に違いないと妄信して、妻を問い詰めた。問い詰めている間に被告人は、これまでそのほかのことでも妻が自分の知らないことをその身内の者や丙川屋と組んでやつており、自分を裏切つていると思い込んで苦しんでいたので、妻に対し、その事実を告白するように、つまり、自分に「本当のこと」を言つてくれるように懇願した。それは、その場での自分の苦悩を払いのけようとする行動でもある。しかし、妻は被告人が期待するような「告白」などしてくれるわけはなく、そこから次第に感情が興奮し、やがて殺意を形成して、ついに発作的、衝動的に殺害行為に出てしまつた。
このように認められるのであつて、犯行はまさに被告人が構築した妄想の世界の中で、その妄想のゆえに妄想に導かれて発作的、衝動的に行なわれたものである。言い替えると、精神病によつてもたらされた力の強い病的情動が被告人を犯行に駆り立てたのであつて、それ以上の殺害の動機は了解不能である。犯行後の被告人の態度をみても、被告人は犯行当時の自己の妄想についての病識を現在に至るまで持つことができない(原審当時被告人は弁護人に宛てた手紙の中で「もし妻がその時に本当のことを言つてくれれば殺すことはなかつた。」と述べている。)し、妻を殺してしまつたことを情緒的に悲しんだり、倫理的に反省しているとも見受けられない。こうしたことも、犯行に際しての被告人の病的異常の強さを物語るものと考えられる。また、被告人はこれまで妻と落ち着いた夫婦関係を築いてかわいい一人娘のB子に大学教育を受けさせるなど家族を大切にしてきたし、B子が大学を卒業して家計が楽になつたら家を新しく建て直したうえ、B子に良縁を得て家族皆で楽しく生活したいというのが妻との共通した将来の夢であつた。このたび精神分裂病が発病するまで被告人が、社会においてはもとより、家庭内においても、ことに妻に対しても、特に暴力的な傾向があつたとは認められない。その被告人が妻を殺害したのであるが、その凶行は被告人の精神分裂病、その活発な陽性症状である妄想のなせる業としか受け取りようがないのである。
原判決は、「被告人は、本件犯行の直前のころ、本件犯行現場において、いつたん同女を殺そうと思つて刺身包丁を手にしたものの、できうれば殺したくないとも考え、直ちに殺害行為に出ることを躊躇し、右包丁を自己の背後に隠して、同女から自己の期待するような答えを言つてもらおうと思い、同女とやりとりをするなど、同女の出方次第では反対動機を形成し同女殺害を思い止まる余地を残した心理状態にあつたもので、被告人にとつては同女を殺害する以外の行動をとるべく動機づけをすることが必ずしも不可能ではなかつた。」と述べている。しかし、その時の被告人の妻に対する行動は、先ほど来説明しているように、自分で構築した妄想の世界の中で、被害妄想を抱いている相手の妻に対し、それによる苦悩を払いのけようとして、実は被告人が妄想しているとおりであつたと白状するように迫つていたもので、もし妻がその場逃れに被告人の思いどおりに答えたとすれば、その時点での犯行はなかつたかもしれないが、この点をとらえて、被告人に反対動機形成の余地があつたとするのは正しくないと思われる。
また、被告人は犯行の前日まで一応曲がりなりにも店で働き続けていたもので、職業的な機能の著しい低下が認められていないし、周囲の人との関係でも、それほど大きく逸脱する不合理な行動に出ることもなかつた。しかし、J鑑定によれば、それは、被告人が精神分裂病者であつたといつても、一般に人格障害の少ない妄想型であり、しかも高齢発病であるため、感情や意欲などの人格面での障害が日常生活ではあまり認められないタイプであつたことによるというのである。このように被告人の社会生活における適応の水準が一見して正常な状態にあつたことや、被告人は刃物で妻を刺した後、妻の叫び声が娘に聞こえないようにとその首を締めるなどして周囲に気を使つたかのような行為に出ていること、殺害後すぐに一一〇番して自己の犯行を冷静に申告し、警察の逮捕にも素直に応じていることなどの事情を考慮しても、被告人に犯行当時反対動機の形成が可能であつたと判断することはできないし、その時点での是非善悪の認識能力やその認識に従う能力を肯定できるわけでもない。
以上の次第で、犯行当時被告人は妄想型の精神分裂病の影響によつて物事の是非善悪を弁別する能力及びこれに従つて行動する能力を欠いて心神喪失の状態にあつたと認めるのが相当である。したがつて、原判決が犯行当時の被告人の精神状態を心神耗弱と認定したのは判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認であるとする論旨は理由がある。
(結論)
そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従つて被告事件についてさらに判決することとする。
本件公訴事実の要旨は先に(判断)の項の一の冒頭で本件の事犯として示しているとおりであるが、犯行当時被告人が心神喪失の状態にあつたと認められることは前記のとおりであるから、刑法三九条一項、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言い渡しをすることとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡本 健 裁判官 阿部 功 裁判官 鈴木正義)